カテゴリー別アーカイブ: 関ヶ原

古戦場の町 『関ヶ原』No.9

島津義弘陣跡(西軍)

関ヶ原かるたより

関ヶ原かるたより

笹尾山より南へ800m下った辺り、西軍布陣地のほぼ中央に「島津義弘陣跡」があります。関ヶ原の戦いで島津義弘率いる島津勢は、三成の西軍に属していました。

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小早川が裏切ったのを皮切りに西軍が総崩れとなり敗北、島津勢も包囲されてしまいます。しかし島津勢は敵陣に突っ込んでいくかのよう前進し、敵の大軍の中を突破します。「西軍に島津あり」の勇姿を家康に見せつけるため、義弘は最後の賭けに出ます。
背陣を最強の武器に変えたその決断こそ現代にまで語り継がれる「的中突破」です。

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島津豊久の碑

この「的中突破」により 島津勢は、かなりの数の武士が戦士しました。その中には副将であり義弘の甥にあたる島津豊久もおり、烏頭坂(大垣市)にて義弘を救うべく身代わりとなって討ち死にしました。実子同様に養育してきた義弘にとっては大きな痛手でありました。

その後、島津勢は辛い道のりを経て自国薩摩に帰り着きます。
帰還を果たした義弘公をしのび、鹿児島城下の武士たちが、鎧・兜に身を固め、夜を徹して義弘公の菩提寺である妙円寺を参拝しました。やがて現代でも鹿児島三大行事のひとつ「妙円寺詣り」として受け継がれています。武道大会、ウォークラリーなど年々盛んになっており家族連れなど多くの人出で盛り上がる伝統行事となっています。

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「関ヶ原合戦祭り2014」開催!!

関ヶ原町最大の戦国イベント!

毎年恒例となった「関ヶ原合戦まつり2014」が、10月18日(土)・19(日)の2日間開催されます。全国の戦国ファン、関ヶ原ファン、地元民が一堂に会する交流の場となっており、年々盛り上がりを見せています。

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昨年好評だった歴史作家・桐野作人氏による興味深い講演や、関ヶ原合戦や戦国時代に関連した歌手・アーティストが出演する恒例のライブステージ、全国から参戦した甲冑武者と鉄砲隊ら約130人が繰り広げるパフォーマンスの数々・・・などその他名物イベント!注目イベント!が目白押し。小さいお子様からご家族で1日中楽しめます♪

〈投稿写真大募集〉~戦国の聖地「関ヶ原」を激写せよ!!~

「関ヶ原合戦まつり2014」を題材にしたフォトコンテスト作品を大募集します。
作品は応募者本人が撮影した写真に限ります、関ヶ原合戦祭りイベント内容であれば問いません。是非カメラ持参で遊びに来てくださ~い!(^^)!
豪華賞品を目指してお気に入りを投稿しよう♪

●募集内容はこちらから

 

古戦場の町 『関ヶ原』No.8

月見宮・福島正則陣跡

関ヶ原かるたより

関ヶ原かるたより

 関ヶ原の戦いで東軍の武将「福島正則の陣跡」は春日神社の境内にあります。ここ春日神社から中秋のころ、美濃中山の方角に昇る名月を見ると、大変美しく風情があったことから「月見の宮」とも呼ばれています。
福島正則は、幼少時より秀吉に仕えていましたが、奉行派の三成との確執から関ヶ原の戦いでは進んで家康に加担しました。春日神社に布陣した福島は、開戦後宇喜多隊に襲いかかり奮闘力戦の末に破りました。福島正則の大活躍は、東軍の勝利に大いに役立ったと言われています。

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 境内にそびえたつ「月見の宮大杉」は樹齢800年、樹高25メートル、周囲5.8メートルの巨木で町天然記念物にも指定されています。関ヶ原合戦をつぶさに見てきたであろう生き証人として今も関ヶ原の地を見守っています。

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 この大杉の折れてしまった枝を加工して根付ストラップが作られました。
関ヶ原町歴史民俗資料館にて好評販売中!!
      樹齢800年 月見の宮大杉 根付
     (関ヶ原合戦屏風・家紋のぼり風タグ付き)  1個:1030円(税込)

製造元であるマルセ木材 岩佐さん

製造元であるマルセ木材 岩佐さん

  関ヶ原でしか手に入らない限定品です。関ヶ原を訪れた記念に、お土産に、おすすめです!東西武将たちの思いの宿った、合戦の時代から現代を繋ぐ世界に一つしかない希少価値の高い一品ですよ~(^.^)

 

古戦場の町 『関ヶ原』No.7

松尾山・小早川秀秋陣跡

関ヶ原かるたより

関ヶ原かるたより

 関ヶ原の戦いで、小早川秀秋は、1万5千の兵を率いてここ「松尾山」に布陣していました。西軍に属していた小早川でしたが、東軍・徳川家康と内応していたと言われています。だが、戦いが始まっても西軍・東軍どちらにつこうかずっと悩んでいました。眼下に広がる戦局は西軍が有利に傾きはじめていました。そんな時、見かねた東軍が松尾山に向け発砲、驚いた小早川は東軍に寝返ることを決意。一気に大谷隊を攻め込みました。
この裏切りがターニングポイントとなり、東軍を勝利に導いたと言われています。

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 松尾山は、標高290メートルの低山のため、気軽に歴史トレッキングとして訪れることができます。麓の駐車場からは、約40分で登頂できます。歩きやすい登山道として整備されており、また、所々には幟(のぼり)が建っており、気分も盛り上げてくれます。

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山頂は、古戦場を眼下に見渡せる絶景ポイントとなっています。陣地になっていたことを思わせるさすがの見晴しです。
今の時期、森林浴も兼ねた登山気分で自然の風景を楽しみながら歴史に浸って みるのはいかがでしょうか(*^。^*)♪

古戦場の町 『関ヶ原』No.6

藤古川のホタル

関ヶ原かるたより

関ヶ原かるたより

自然が多く、水のきれいな関ヶ原には、ホタルの生息地として知られる場所があります。 

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不破の関の西側を流れる藤古川周辺では、毎年6月中旬ごろになるとゲンジボタルが飛び交います。昔ほど大型のゲンジボタルではなくなり、数も少なくなりましたが、今でも多い時は数百匹のホタルが一斉に光を放ち、見物に訪れた人々を楽しませてくれています。県外からも多くの方が訪れ、知る人ぞ知る穴場スポットとなっています。
幻想的なその光景はとってもロマンチックですよ~(^.^)

 

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近くには、「脇坂安治陣跡」があります。関ヶ原の戦いで西軍に属していた脇坂は、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保とともに松尾山麓に布陣。小早川隊に対する備えだったが、戦が始まっても傍観するのみ。ついに小早川隊が寝返ると、脇坂隊をはじめとする4隊も相次いで東軍に寝返りました。これにより、東軍の勝利が決定的になったと言われています。

古戦場の町 『関ヶ原』No.5

戦死者を葬った首塚(東首塚・西首塚)

関ヶ原かるたより

関ヶ原かるたより

関ヶ原合戦においての戦死者は、両軍合わせて8千人とも言われていますが、戦国期の戦場では味方だけでなく敵の戦死者も弔い、供養塚を築くのが当時の習わしでした。

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関ケ原には東首塚西首塚があります。首実検を行った家康が、当時この地の領主であった竹中重門に本合戦で死亡した兵士を埋葬することを命じ、首塚を築きました。
ここ東首塚には「首洗い井戸」も残されており、首実検に先立ちここで井戸水を使って首級の血や土などが洗い落とされました。

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東首塚境内 には、関ヶ原合戦の火蓋を切ったとされる東軍「松平忠吉・井伊直政の陣跡」があります。事実上総大将であった井伊直政は、東軍先鋒であった福島正則から抜け駆け先陣を奪った武将であり、これにより開戦となったと言われています。

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西首塚は国道21号線沿いのわかりやすい場所にあります。
これら歴史の遺構は、近隣住民によって管理され400年以上たった今もきれいに保存されています。

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駅前には気軽に立ち寄れる「街角観光案内所」があり、効率よく史跡を巡るコース紹介や資料を数多く取り揃えています。関ヶ原に詳しいボランティアが情報を提供してくれます。
ぜひご利用ください♪(*^。^*)
                   開所時間:9:00~14:00
                     電話番号:0584-43-5559
                     営業期間:4~11月中旬     

企画展 「関ヶ原合戦に見る黒田と竹中」

関ヶ原歴史民俗資料館にて企画展 開催中

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 関ヶ原合戦に参戦し活躍した 黒田長政と竹中重門に焦点をあてた企画展が、4/1より
関ヶ原町歴史民俗資料館で開催されています。二人の父は共に秀吉の軍師として仕え、
『太閤の二兵衛』と称された、黒田官兵衛・竹中半兵衛です。大河ドラマで官兵衛が題材になっていることや、隣の垂井町が半兵衛ゆかりの地であることから企画が話題を呼んでいます。

4/2中日新聞より抜粋               4/2中日新聞より抜粋

その息子達である長政と重門が関ヶ原合戦時、東軍としてこの地に陣を構えます。幼なじみでもあった二人はどんな風に作戦を立て東軍の勝利に関わっていたのでしょうか?
テーマに沿い、場面ごとに解説パネルを添え、貴重な所蔵品、関ヶ原に伝わる合戦絵巻や合戦屏風なども公開していて見どころ満載です。

開催期間:平成26年4月1日~平成27年2月28日
(休館日は月曜日、祝日の翌日及び年末年始)

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歴史民俗資料館と道一つ隔てた場所には、陣場野公園があります。
ここは、徳川家康が関ヶ原の戦いで最後に陣を置いた場所です。
 家康は、開戦時には、桃配山に陣を置いていましたが、東軍の士気を上げ、一気に決着をつけるべく陣を進めます。ここへ移動して戦いが終わるまで指揮したと言われています。
戦の後にはこの場所で首実験も行われました。

小さな町なので、移動時間を考えることなく、1日で多くの史跡や関ヶ原の街並みを散策できます。本格的な観光シーズンに備え、駅前には、観光案内所も設置され全国からのご来町を歓迎しております。
過ごしやすくなってきたこの季節に、ぜひ古戦場の町に遊びにきてください(*^。^*)

 

 

古戦場の町 『関ヶ原』No.4

 東軍・徳川家康最初陣跡(桃配山)

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誰もが知る東軍総大将・徳川家康が、関ヶ原の合戦時3万人の兵を率いて最初に陣を構えた場所が、ここ桃配山(ももくばりやま)です。東西を国道21号建設時に削られた『桃配山』は小高い丘上の小さな山です。
672年壬申の乱で、大海人皇子が、兵士の士気を上げようと桃を購入して配り、戦いに勝利したことから、『桃配山』と呼ばれ、家康も縁起を担ぎ最初の陣を置いたとされています 。


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陣跡には、合戦時、家康が使用したと伝えられる腰掛岩と机石が今も残っています。
山頂からは、敵陣・三成が陣を構えた場所である笹尾山を確認することができません。戦局の不利な
この場所でしきりと戦略会議が行われていたのでしょうか・・・その緊迫感が伝わってきそうです。
当時の家康と同じ目線に立ち、歴史を感じることのできる史跡として、歴史好きはもちろん、日本人として一度は訪れておきたい場所です。

古戦場の町 『関ヶ原』No.3

 西軍・石田三成陣跡(笹尾山)

関ヶ原かるたより

関ヶ原かるたより

関ヶ原の戦いで、西軍の大将と言われる石田三成が陣をかまえたのが、笹尾山です。
数ある史跡の中でも特に人気のスポットとなっています。

IMG_1623 ここに三成は家臣らを配し、総勢6,000の兵をもって東軍13,000にも及ぶ大軍を相手に激戦を繰り広げます。家康軍を囲むように布陣した西軍が地形的に有利であり、実際の戦局も優位に推移していましたが、小早川秀秋の寝返りを機に戦局は一変、西軍は総崩れとなり、戦いに敗れます。

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頂上展望台からは、戦場一帯を見下ろすことができ、総大将 三成が陣するに相応しい地であることが分かります。

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また、敵からの防御のために作られた竹矢来や馬防柵なども当時さながら再現されていて戦国の雰囲気を味わえます。関ヶ原にお越しの際にはぜひ立ち寄ってほしい場所です♪

 

古戦場の町 『関ヶ原』No.2

天下分け目の戦いが始まった場所 開戦地!

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関ヶ原町には、関ヶ原の戦いの始まりの地となった場所が、開戦地として残されています。

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 合戦の日、東軍・西軍ともに布陣が完成したのが、午前6時頃。この日濃霧の影響で周辺はほとんど見渡せなかったといわれています。両軍開戦のタイミングを見計らっていたところ、東軍の中で、先陣を切るのは福島正則軍と決まっていたにもかかわらず、これを不服とする井伊直政隊は、霧が晴れ渡った午前8時頃、福島隊を出し抜き西軍・宇喜多軍に攻めかかり、突然の発砲。先駆けに成功しました。この抜けがけに怒り慌てた福島軍が、宇喜多隊に一斉射撃し、合戦の火蓋が切って落とされたのです。

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周辺は、田園風景の広がる静かで穏やかな場所です。
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“関ヶ原と世界平和”をテーマにした石彫アートがあふれる公園「平和の杜 ・400年公園」も近くにあります。町民や史跡めぐりに訪れる人のやすらぎの場となっています。
歴史と芸術にふれながらゆっくり休憩を挟み、田舎町をのんびり散策してみてはいかがでしょうか・・・♪(^_-)